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【アラベスク】  第11章 彼岸の空



第2節 夕闇の十字路 [17]




 でもさ、一人暮らししてる高校生なんてそうそういるもんじゃない。親と同居してたら転がり込めないだろう。友達がいたとしても、一泊もしくは数泊できる環境に恵まれている高校生など、あまりいないんじゃないのか?
 美鶴の場合は友人皆無だし、普段会話を交わしている存在と言えば―――
 聡と瑠駆真。
 頼れるワケないだろうっ!
 聡は家族と同居しているはずだし、瑠駆真は―――
 ふと、甘い囁きが耳に響く。

「ラテフィルへ行こう」
「ここから出て行って、もっと別のところへ行くんだ」

 別のところ。こんなにいろいろ悩む事のない、もっと楽しくて、何もかも忘れられるところ。
 一瞬、そんな場所があるのでは? と憧れてしまった自分に頭を振る。
 バカ言うな。だいたい、なんで私が瑠駆真と一緒にラテフィルなんて見知らぬ所へ行かなくてはならないんだ。
 そんな美鶴の言葉に答えるような声。

「もう君の謹慎は解けない」

 あぁ、そうだった。私、自宅謹慎中だったんだ。すっかり忘れていたよ。
 聡の義妹の奇声で耳を攻撃されたのは、もうずいぶん前の事のような気がする。
 このまま私、退学なのか?
 少し卑猥な声が囁く。

「そんなに、唐渓へ戻りたい?」

 やめようっ!
 思わず拳で頭を叩く。
 実際に退学を言い渡されたワケじゃない。それこそ瑠駆真の狂言かもしれない。だいたい何? 王族?
 瑠駆真がそのような嘘をつくとは思えないが、本当とも思えない。
 空を見上げる。もう陽も暮れる。母の詩織は家にいるだろうか。さすがに瑠駆真はもういないだろう。いて欲しくない。今は誰にも会いたくない。
 送っていくという小窪智論や木崎の申し出を断り電車に乗り、だが行くアテもなかった。ふと頭に浮かんだのは駅舎だったが、鍵を家に置いてきてしまった。
 自宅の鍵はしっかり持ってきてんのにな。
 智論から手渡された深緑のコットンジャケット。そのポケットに携帯と共に収まる存在。
 瑠駆真に押し倒されたあの状況でも、携帯は忘れなかった。
 秋だ。陽が落ちれば肌寒い。ここ数日で冷え込んだ。日中でも寒さを感じる。ジャケットの存在はありがたい。
 両腕で身体を抱え、背を少し丸めるようにして、美鶴は仕方なく歩き出した。歩き出すより他に、美鶴にはすべき事もない。
 結局、家に帰るしかないんだな。
 カラオケやマンガ喫茶で過ごすにしたって、利用するにはお金がいる。美鶴には大した持ち合わせはない。
 このまま家出しちゃうとか、塞いだ心を埋めるべく繁華街をウロつくとか、時間を過ごすいろんな方法が頭の中に去来したのは間違いない。だが美鶴には、そのどれもがなんとなく無意味に思えた。
 私は家出もできない臆病な人間だという事なのだろうか?
 今ここで誰かにそう罵られても、美鶴はなぜだか冷静に認めてしまうような気がする。
 臆病だろうが卑怯だろうが、そんな事、もうどうでもいいよ。
 理不尽に謹慎処分を受け、自分の出生を知り、異性からは退学を仄めかされ、逃げようと誘われた。勇気を振り絞って告白した相手からは無様にその恋心を(あしら)われ、やっぱり人なんて好きになるもんじゃないと再自覚した。
 普通だったら、自殺とかしてもおかしくないんだろうな。できない自分って、自殺したいとも思わない自分って、結局大した人間でもないって事なのかな。
 自殺したいって思わないという事は、大して辛い経験をしたってワケでもないという事なのだろうか?
 辛いとか苦しいとか、そのようなモノよりも、どうせ… などといった冷めた感情が美鶴を覆う。
 いつだろうか? どこかで同じような感情と出会ったような気がする。
 どこでだろう?
 記憶を巡らし、ハタと立ち止まる。
 あぁ そうだ。澤村優輝にフられた時だ。正確に言えばフられた時ではなく、その後に里奈の裏切りを知った時だった。
 激しく動揺し、羞恥や怒りや憤りの入り混じった感情に全身が燃えるほど熱かった。だが、それは突然、急激に冷めた。
 どうせ自分はそうなのだ。所詮は嗤われるだけの存在なのだ。
 そう言い聞かせ、里奈を拒絶し唐渓に入学し、周囲を蔑視し距離を置き、冷ややかに笑いながら過ごした。聡や瑠駆真に対しても、そのような対処を徹底した。その結果―――
 美鶴は瞳を閉じる。
 その結果、また同じところに戻ってきた。
 戻ってきた。
 その言葉になぜだか胸が締め付けられ、美鶴は顔をあげる。
 仕方ないじゃないか。どうせ自分はそういう人間なんだから。
 自分を締め付ける何かに対抗するかのように息を吸う。ポケットに両手を突っ込み大股で一歩を踏み出そうとして、だが結果的には踏み出せなかった。
 ポケットの中に、携帯とも鍵とも違う存在を見つけたのだ。
 何だろう?
 ぼんやりと取り出す。それはただのポケットティッシュ。
 あぁ、乗り換えた駅で配ってたヤツだな。
 興味もなく再びポケットに捻じ込もうとして、何気なくその表に視線をとめる。
『休憩&宿泊 女性は無料!』
 休憩? 宿泊? 女性は、無料?
 白地に青い文字で書かれたその紙面は、毳々(けばけば)しさこそはないが、ポップな文字でできる限りのアピールを試みている。実際、美鶴も踊る文字たちに視線を奪われた。
 休憩。女性は無料って、タダって事? じゃあ男性は?
 紙面を見ても、男性については何も書かれてはいない。
 男性は?
 そこまで考えて、美鶴は瞳を見開いた。
 これって、出会い系ってヤツ?







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